映画「よろずの稀間」の葬式、或いは精禅奏、沸活祭、聖痰祭、ネガをポジに、全ては童子に。四月九日抱擁。
監督・撮影・編集:佐野亮介
出演:リョーカンとよろずの稀間に来てくれた人達
2019年/日本/約3時間
◎稀間の季節・稀間の黙示録・稀間は爆発だ・稀間より愛を込めて
ただの究極の映画。ラッパーのMarebeat Leokan(マレビート・リョーカン)は吉祥寺でミュージックカフェバー?「よろずの稀間」を営んでいた。
コンセプトなどというものは特になかったが、聞かれたらWWWのスピンオフのような、NPRのような、ささやかなBoiler Roomのような西東京の桃源郷を作りたいと答えていた。
(桃源郷という言葉を使っていたのは実は最初から無くなる事は分かっていたのかもしれません。)
そういう意味ではきっと原案は陶淵明の『桃花源記』になるのだろう。
とは言っても突然店が無くなる事になり失意のどん底だったが、そこへ脳内に突然炎の如く映画が閃きやって来たのでリョーカンはよろずの稀間の最期の一ヶ月を撮影する事にした。
「突然」と書いたが元々お店が軌道に乗ったらNPRのように稀間で演奏してくれる人達を撮影して「Marematic Vision」という番組を作ろうと思っていた。音楽だけでなく料理や、絵や写真の展示、対談など他にも様々な事を番組にできると思っていた。そこで撮影技術など諸々成長していつか時が来たら、その時撮りたい気持ちがあったならば映画を作ろうと思っていた。かと言って映画を作るという所業は大変な事だと分かっていたので絶対的な事ではなかった。曲を作って3分のMVが撮れるようになったならばそれはそれでそれだけで充分幸せだった。
更に言えば一枚のアルバムを一本の映画、映像作品にするというアイディア、ヴィジョンは遥か十何年も前からあったものであった。(この映画はALBUM『Marematic』の映像化でもある。)十何年も前に種は蒔かれていたとも言える。但しその時はまさか店をやりながらの三つ巴の作業になるとは思っていなかった。結局憂鬱があるだけで、いや、直感があるだけで技術もないまま撮影が始まってしまったが、情熱と行動が直結したイコール結果オーライだった。
今ではスティーブ・ジョブスのかの有名なスタンフォードでのスピーチがほんの少しだけ身に染みてわかるようになってしまった。
もはや主語がリョーカンから私に変わってしまった。な、。
編集している時にいつも思っていたのはその理由が何だったのであれ偶々であれ3月に稀間に来てくれた人達にとても感謝しているという事です。(もちろん3月以前に来てくれた方もですが、、)
どうもありがとうございます。
色んな物の見方があるし、捉え方は自由ですが、自分としては感謝の気持ちを込めて作りました。
喜んでもらえたら、楽しんでもらえたら、笑ってもらえたら幸いです。
WWWで葬式ができるなんてピラミッドを作った王よりも贅沢な事なんだぜ、なのさ、なんだよ、なんでもいいけれども、そもそもが儚いのに墓なんかいらない、映画があればええが。。。
もう3年前?2016年の2月2日にその時組んでたバンドM.O.J.Oのドラムのアニアニの粋な計らいで
ここWWWで7inchのリリースパーティーをする事ができました。その日はもちろん人生最高の日でしたが、あたかもそこがゴールだったかのように終わってしまいました。それはそれでいいんだけれども、今度はここWWWをスタートラインに精一杯突き抜けたい。それだけ。
どっちにしろ先は未知。楽しみ。昔作った「これから」って曲で「ついでにとんちで映画を完成」ってラップしてたなとしみじみ。
よろしくどうぞ。来てね。
この映画にすべてをかけてしまった男の灯火に。
~WWW田中~
ALBUM 『Marematic』 Free Download
https://marebeatleokan.bandcamp.com/album/marematic